「プライベートでは一切勉強したくない」人は結局どこでも微妙かもって話

「プライベートでは一切勉強したくない」人の末路

見出しは、ここしばらくの「・・・人の末路」ブームに絡めまして。大炎上しそうなネタをこちらの方が書いております。とても理解できるご意見なので是非ご覧ください。

「プライベートでは一切勉強したくない」と言っていた社員のこと
米村 歩(株式会社アクシア 代表取締役)

米村さん(面識なし)はシステム会社の社長様でいらっしゃいます。エンジニアに関しては、プライベートでは勉強したくない人は、時代(技術とか)の進化に取り残されていくので向いてないよ、というのが一言で言う趣旨です。

個人的には全くその通りだな、と思う半面、はて、これはエンジニアだけの話なのかな? と思ったので、私もちょっと自分の身の回りの話で書いてみます。

プライベートで勉強することは貴重な人生の時間の無駄遣い

ここからは、いくつか米村さんの記事のポイントに言及していきます。

プライベートで勉強することは貴重な人生の時間の無駄遣いであり、絶対に勉強はしたくはないとそのAさんは言っていました。

今の若い人にはとても多いと思います。むしろ大部分がそうじゃないか的な。

ただ、4年制大学出て新入社員として大企業に入るような子達だったら、もうちょっと勉強するのか・・・しないのか。もう昨今の事情は分かりません・・・。

ただ、私が新入社員の頃は、何かこう、ビジネス書やら自己啓発的な書物を読むのがある種当然のような時代だった気がします・・・。(15年くらい前)

社員にプライベートな時間を使って勉強してこいというのは傲慢

エンジニアの社員がプライベートで一切勉強しなくとも、会社が業務時間中に研修を行えば良いわけで、これを社員にプライベートな時間を使って勉強してこいというのは傲慢です。会社が勉強しろと指示を出すのであればそれは業務時間であり、賃金が発生するわけです。

そう・・・。傲慢なんです。傲慢なんですが、人生経験を積めば積むほど、言いたくなっちゃうんですよね。

老害・・・。(って思われるんでしょう)

あの時勉強しておけば良かった・・・そう思った時には遅いんだから、と。この発言こそが老害の権化なんですが、ただ、これも裏側にあるのは、その人への余計な愛情というか教育愛だったりもします。(でも余計なお世話)

今目の前で毎日やっている仕事は、今の自分ができる仕事

ここからが本題。

エンジニアがプライベートで勉強するかしないかは完全に本人の自由です。会社がやれと強制することなどできません。しかし技術職であるエンジニアがプライベートで一切勉強をしていないと、周りの勉強している同僚達との差がどんどん開いていくという現象が発生します。

そうでしょうそうでしょう・・・。今目の前で毎日やっている仕事は、未来への投資、自分への投資ではなく、「今の自分ができる仕事」なわけなのです。これはエンジニアはデザイン職などにとっては紛れもない現実。

もちろん、経験によって効率化が図れたりすることはあるでしょう。

一切勉強しなくなった結果どうなったかというと、Aさんは周りのエンジニア達との成長スピードの差に悩むようになりました。後から入社してきた後輩にもあっという間に抜かれていってしまいます。

そうだよね~。もちろん、好きでエンジニアになった人なのかどうかにもよるとは思うけれど、自分が今やっている仕事を、後からでも好きになれば、上手になろう、うまくやろうという気持ちが出てきてもおかしくない。

仮に、後輩とかがそういう「スイッチ」が入っちゃって、家でも「趣味」的に勉強しだしたりしたら・・・。絶対に、追いつかれるし、追い越されたら、追い越せないだろうな。

論語にもありますが、楽しんでやる人には、楽しめない人は勝てませんから。

勉強しない人は勉強する人には勝てません

米村さんのブログであまりにも現実的な五箇条が載っていたので引用します。

1、勉強しない人は勉強する人には勝てません
2、勉強しない人は勉強する人ほど給料は上がりません
3、勉強しない人は勉強する人ほど重要な仕事を任されません
4、業務時間で習得したスキルは10年後使えなくなるかもしれません
5、勉強しない人は転職が厳しくなるかもしれません

社会人15年強やってきて思うのは、ほとんどの場合、上記は紛れもない現実・事実です。

正直なところ「努力は必ず報われる」ってのはウソだと思うんですが、「努力してない人が報われることは、努力する人が報われる確率に対して圧倒的に不利」ってのはホントだと思います。

自分の選択の結果には責任を持ちましょう

普通に考えて勉強しない人は勉強している人に勝てるわけがありません。勉強しなくても良いけど、その自分の選択の結果には責任を持ちましょうというだけのシンプルな話なのですが、これをどうしても受け入れたくない人も一定数存在するようです。

自分の選択の結果には責任を持ちましょう、ってのは、プライベートな時間に勉強しなかったことで、勉強した人と差がついたとしてもその責任は自分の行動の結果だってことを受け止めなさい、って意味ですね。

これは、「プライベートな時間に仕事の勉強したくない」層の人には、かなり受け入れられない話なんだと思います。この話は人事評価の話に繋がります。

「あいつはプライベートな時間を犠牲にして仕事のこと(勉強とか)やってる」
「そんなあいつのことを評価するってことは、プライベートな時間に勉強することを会社が推奨しているってことだ」
「そんなのは俺は認めない、おかしいだろ」

・・・行き着くところはこの議論しかありません。

なお、プライベートな時間を「犠牲にしている」と、勉強してる本人が思っているかは、正直なところ聞いてみないと分かりませんよ。

評価するのはプライベートな時間に勉強したか、ではない

ただね。この話って、行き着くところは大学の受験勉強とかと同じ話だと思うんだよね。

Aさんは、学校と家で必死に勉強して、統一模試で偏差値60を取りました。
Bさんは、学校と家と、塾にも通って必死に勉強して、統一模試で偏差値65を取りました。

※模試の偏差値ってのがポイントね、数値化できる評価って意味で

この場合、偏差値で見ればBさんの方が評価されるわけです。でもおそらく、これが大学の受験勉強だったら、経済的な理由で塾に行けなかった、とかでなければ、基本的に不満には思わないはず。

ところが、これが仕事の話となると・・・。

Aさんは、家では一切勉強しない人で、B評価だった。
Bさんは、家でも仕事に関連する勉強をする人で、A評価だった。

※評価者の感情とかは排除できないってのが現実ではある

この場合、AさんはBさんの評価に対して不公平だと不満に思うんでしょうか? 「あいつは家でも勉強してるから・・・」

これが「プライベートでは一切勉強したくない」人側の想い・・・なのかもしれません。人事評価が、評価者の気持ちも入る仕組みだからこそ、家でも勉強するやつが優遇されてる・・・とか思うのかもしれません。

プライベートでは一切勉強しなくても、優秀であれば良いだけのこと

では、ここで新しくCさんを追加投入してみます。

Aさんは、学校と家で必死に勉強して、統一模試で偏差値60を取りました。
Bさんは、学校と家と、塾にも通って必死に勉強して、統一模試で偏差値65を取りました。

Cさんは、学校と家でしか勉強していないのに、統一模試で偏差値70を取りました。

・・・この際に、Cさんを正しく評価してあげるのが、今の世の中の評価システムだと思います。(そうあるべきってのも含め)

学校と家で必死に勉強したかどうか、塾にも通ったかどうか・・・それも関係ない。統一模試で偏差値70を取った、というその事実。

仕事の世界でも、「プライベートでは一切勉強しなくても、優秀であれば良い」だけのこと・・・なのではないでしょうか。

終わりに

長くなりましたが、私の結論めいたものを記載して終わりにいたします。

  1. プライベートな時間に仕事のこと考えなくても、優秀であれば、それ相応の評価は得られる
  2. ただしそんな優秀な人はごく稀なのが現実
  3. 自分がその「優秀層」ではない自覚があるんだったら、「プライベートな時間にも勉強する人」にはいつか抜かれるのは受け入れないといけないよ

 

というわけで。個人的にこの話はエンジニアだけじゃないと思っています。あらゆる社会人、どれだけ仕事ができるかで評価されるとしたならば、能力が高い人が高い報酬をもらえるのです。

・・・余談。

仕事の成果が同じくらいだった場合に、プライベートな時間にも勉強してる人を「加点」評価しちゃう評価基準がある場合は、会社が「プライベートな時間にも勉強すること」を推奨してるように見えちゃうかもね!

ではでは。